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記録

#13

小学生の頃。

 

数十分の休み時間は、絶対に外のグラウンドで遊び回ってた。

 

今思うと時間の使い方が違いすぎるし、とんでもない体力やったなと思う。

 

いつから今くらいの時間の感覚になったんやろう?とふと考える。

 

やっぱり小学校高学年くらいの頃には、少しずつ今くらいの感覚になってたんやろうか。

 

自分が通ってた小学校は、昼休みになると外に出ない人なんかほとんどいなかった。

 

昼休みは当然外に出るものであり、教室に残っている人はどこか異端扱いのような雰囲気。

 

外に出ないのは、給食食べるのが遅い奴か、怪我でもした奴くらいなものだったと思う。

 

しかしその風潮も4年生くらいまでのもので、5、6年生くらいになると徐々に教室に残る奴も出始めてきてたような気がする。

 

ある日、昼休みは毎日グラウンドでサッカーをしてた自分は、怪我か体調不良か何かで珍しく教室に残っていた。

 

大量の生徒で埋め尽くされた昼休みのグラウンドを、教室の窓から眺めて、新鮮な気持ちだった記憶が少しある。

 

教室にはチラホラと他の生徒もいた。

 

絵を描く奴、本を読む奴、トランプか何かをしてる奴。

 

こいつら、教室でこんなことしてるんやなーと、今まで全く知らなかったことに気付いた気がした。

 

ガヤガヤしたグラウンドとは対照的に、教室には静かでゆっくりとした時間が流れていた。

 

少し、居心地の良さのようなものを感じた。

 

こういうことが、今の感覚にも繋がっている気がすると、何となく思う。

#12

たまに思い出す人シリーズ。

 

これまた元バイト先の名前はもう忘れたけど、一定期間働いて一定期間世界周ってる言うてたおじさん。

 

俺が大学四回生やった頃くらいに新しく入ってきてた気がする。

 

なんともフランクなおじさんやった。

 

仕事は何となくポンコツ感あったけど、とにかく周りの目とか世間体とか一切気にしてなさそうな、ネジが一つ外れた感のある人。

 

これまでずっと働いては辞めて海外で遊んでまた働いて、、を繰り返してきたらしく、その時も一年か二年くらい働くつもりで俺の元バイト先に来たらしかった。

 

世の中にはそういう人も存在するんやろうなというのは、何となく頭の中で理解はしてたけど、いざ自分の前に現れることで、こういう人がそういう人なんかーと思えた。

 

お世辞にも清潔感があると言える見た目ではなかったし、言動もちょっと幼稚な感じで、あんまり尊敬はできんかったけど、何にも縛られてなさそうな自由な雰囲気はちょっと羨ましくもあった。

 

あと、すごい純粋というか、典型的な大人特有のいやらしさとか汚い部分みたいなのがあんまりなくて、年齢はだいぶ離れてたけど、対等な一人の人対人として接してくれてると思える珍しい大人やった。

 

当時の俺が公務員を目指してると言った時も、きつそう〜でも凄いな〜頑張ってや〜とまっすぐ応援してくれたし、合格した時は一番に伝えて、やったなと一緒に喜んでくれた。

 

結局その人が世界へ発つ前に俺が就職で辞めてもうたから、ほんまに実行することができたかどうかは分からずじまい。

 

今頃どこかで自由に歩き回ってるといいな。

#11

父方の祖父母と自分は、あまり関係性が深くない。

 

母方の祖父母のことはそれなりに好きだし、思い出もそれなりにある。

 

ただ、父方の方にはあまり思い入れがない。

 

物理的に一緒に過ごした時間が少なかったのか、何となくソリが合わなかったのか、理由は分からないが昔からそう感じていた。

 

そもそも父方の祖父母と言っても、祖父の方には会ったことすらない。

 

祖父は父親が若い頃に大喧嘩の末家を出て行ったらしく、籍こそ入れたままなものの、その時からずっと別居状態とのことだった。

 

父親はあまり祖父の話をしたがらない。

 

自分にとっても全く関わりのない、存在するのかどうかの実感すらあやふやな人だった。

 

そんな祖父が亡くなったとの知らせが、父方の親戚伝いで我が家に舞い込んできたのが、去年の暮れのことだった。

 

自分にとっては、会ったこともないただのお爺さんである。

 

それでも、自分を産んだ母親の配偶者の父親である。

 

その人が存在しなければ、自分は今こうしてこの世に存在しなかった。

 

紛れもない確固たる事実である。

 

話を聞くと、これまた自分にとって一才縁もゆかりもないような遠い場所で、独り亡くなっていたようだった。

 

年は明けて令和3年。

 

今度は追うようにして祖母が亡くなってしまった。

 

ここしばらく、ほぼ寝たきりのような状態が続いているとだけ聞いていた。

 

容態が急変したとのことで子ども達が駆けつけた頃には、既に息を引き取っており、誰も最期を見届けることが出来なかったらしい。

 

正直な気持ちで言うと、冒頭で述べたようにあまり深い関係性や思い入れのある人達ではなかったので、悲しみのような感情はあまりない。

 

ただ、もう何十年も顔を合わせていなかった二人が、示し合わせたかのようなよく似た最期を迎えたことが、少し不思議だなと思った。

 

自分の人生の最後は、どんな終わり方をするんやろうか。

#10

先日元カノと会ってきた。

 

少し遠くの実家から大阪に出てきていて、こっちでは仕事関係の人か俺くらいしかほとんど知り合いがおらず、友達もこっちにはほぼいない人だった。

 

別れたはいいものの、多分暇なのだろう。

 

それは自分も同じ。

 

向こうから好きじゃないと言われて別れたけど、嫌いになったわけでもなかったようなので、お互い久々に会うことに大きな抵抗はなかったと思う。

 

付き合ってた頃と同じように、自分の家から車で相手の職場へ迎えに行き、そこから適当な飯屋へ寄り、家まで送り届けてあげた。

 

あれからどうだとか他愛もない近況報告をしただけやったけど、いい気分転換になったし、またこれから頑張ろうと思えた。

 

その日、相手は一日仕事をした後の疲れからか、帰りの車内の最後らへん、助手席で完全に寝てしまってた。

 

付き合ってた時から、よく寝る人だった。

 

すぐ寝るし、寝たら熟睡やし、起こそうとしてもしばらくは中々起きないような人だった。

 

その時も、まあそれは気持ちよさそうにこっくりこっくりしてた。

 

信号待ちの時、そんな相手の姿を見て、色々とフラッシュバックしてしまった。

 

俺にはもうこれくらいのことしかしてあげられへんけど、どうか幸せになってほしいなぁと心から思った。

 

そして、やっぱりあんまり会ったりしたらあかんなぁ、、と思った。

 

その日は大好きなお笑い芸人のラジオの放送日だった。

 

送り届けた後に聞こうと思ってたけど、どうも気分になれず、大阪からの帰り道の間、ひたすらに音楽だけ聴き続けた。

 

 

 

 

#9

普段生活してて、99%の間は忘れてるけど、残りの1%でたまーに思い出すような人が何人かいる。

 

大学生の頃、フットサルサークルに所属してた。

 

小学生の頃からサッカーをしていてサッカーはずっと好きだったし、大学生になってサークルに入らないなどという選択肢は1ミリも頭になかったので、フットサルサークルを選ぶことは自分にとって違和感のない自然な流れだった。

 

学部で適当に仲良くなった友達と、適当に決めたとあるフットサルサークルに、すんなりと入部することになった。

 

ガチ過ぎず緩すぎず、男女の比率も程よく、所属してる他のメンバーにも不満は特になく、悪くないサークルだなと思っていた。

 

しかし、自分にとって一つ苦手なことがあった。

 

飲み会の雰囲気。

 

それはそれはもう、合宿や練習終わりの度に、所謂「THE・大学生の飲み会」が催されるサークルだった。

 

自分はそれに馴染めなかった。

 

当たり前のように飛び交うコール。

 

みんないつの間にどこでそんなん覚えたん?て思ってた。

 

初め、一緒にサークルに入った同じ学部の島根出身のあの田舎野郎も、嬉々としてコールを叫んでた。

 

コールとかそういうことをする人が嫌いな訳では決してなかった。

 

一緒にできた方が楽しいに決まってるのは当然自分でも分かってた。

 

でも自分はできなかった。

 

頑張って付いて行って無理やりしてた時も、俺これ今何してるんやろって気持ちがどうしてもよぎって、恥ずかしさみたいなのから抜け出せなかった。

 

そんな一年生の頃の夏に、自分は夏合宿というものに参加した。

 

先輩や同学年のメンバーと交流を深め、思い出を作る絶好の機会だ。

 

参加しない手はなかった。

 

しかしそこでもやはり、飲み会の壁が立ちはだかった。

 

相変わらず飲み会の時間がキツかった。

 

誰かと喋ったり酒を飲んだりすることは全く嫌いじゃないのに、何かあればすぐにこだまするあのコールだけがどうしても苦手だった。

 

帰りてえ。。

 

何でこいつらこんな全力で叫べるん。。

 

店側も何でこれでOK出すん。。

 

そんなことばかり考えて、とにかく時間が経つのが永遠に感じられた。

 

そんな時だった。

 

とある人が、急に喋りかけてきた。

 

「おう、しんどいか?大丈夫?」

 

一学年上の二年の男の先輩だった。

 

その人はバリバリのウェイ系の大学生だった。

 

そういう飲み会とかで一番目立つタイプの、背が小さくて、ど金髪のホストみたいな髪型で、でも九州出身で顔はめちゃくちゃ童顔で田舎の中学生みたいな顔をしていた。

 

みんなに慕われてて、イジられてて、モテるタイプではないけど人気のある人だった。

 

そんな人が、どうも飲み会の雰囲気に馴染めずタジタジしてる自分を見かねてかどうかは分からないが、話しかけてきた。

 

そこで自分にとって胸に響く、優しい言葉を掛けてくれた…とかいうことは全くない。

 

というか、何の話をしたのかもほとんど覚えてないし、多分1分くらいしか喋ってない。

 

でも話しかけてくれたのは覚えてる。

 

そして、あーなんか気遣わせてしまってるかな、ほんまこの飲み会居づらいなぁ…と思ったことも覚えてる。

 

その後の飲み会を何とかやり過ごし、夏合宿からも帰ってきた自分は、次第にサークルへ足を運ぶ頻度が少なくなっていった。

 

単純に面倒くさくなっていったのもあるし、これからもああいう雰囲気に馴染める気がしなかったのもあるし、とにかくあまり行きたいと思えなかったので、たまーに行くだけでどんどん行かなくなっていった。

 

時は流れ、3年の秋頃。

 

サークルに行くことなど全くなくなり、授業も少なくなって大学に行くこと自体減ってきてた。

 

その頃の大学生活といえば、ほとんど一人で通学しては一人で講義を受け、一人で帰宅するといったようなものだった。

 

ただただ4年で卒業するためだけの義務感で通ってて、大学に対する楽しみはほとんど見出せていなかった。

 

今思うとめちゃくちゃ勿体無いと思うけど、当時はそうだった。

 

その日も一人で講義を受け切り、すぐさま帰宅しようとしたが、たまたまその日は無性にラーメンが食べたかった。

 

というわけで、帰りの途中に繁華街のある駅で降り、お気に入りのラーメン店へ向かい、夢中で一人ラーメンを食べ、店を出て、他に寄り道など一切せず、すぐに改めて帰ろうとした。

 

すると、早く食べ過ぎてしまったせいか、歩き出すと暑くて汗がダラダラ流れてきた。

 

元々汗かきなので、これはしばらく止まらないなと分かり、道の途中にあるベンチに腰をかけて休憩することにした。

 

汗が止まるまで適当にスマホなんかを見ながらぼーっとしてた。

 

そんなことをしながら、数分経った頃。

 

何か感じる。

 

視線か、足音か、誰かが近くにいる感覚。

 

初めは分からなかったが、少しして、前から誰かが自分の顔を覗き込もうとしてることに気がついた。

 

パッと顔を上げて見てみると、すぐに誰だったか分かった。

 

前述のあの先輩だった。

 

ご友人と二人でたまたま通りがかったようだった。

 

驚いてすぐに挨拶をした。

 

「うわ、お疲れ様です。めっちゃ久々ですね。」

 

「おうお疲れ。ほんまに久しぶりやな。」

 

「びっくりしました。よく気付きましたね。」

 

「何してんの?こんなとこで。」

 

「あ、あっこのラーメンです。」

 

「ああ、食べに行くんや。」

 

「いや、もう食べて出てきたんですけど、暑くて汗出てきたんで休憩してました。」

 

「なんやそれ。大丈夫かよ。」

 

ど金髪でホストのようだったあの髪型は、黒髪の何の遊びもない髪型に変わっていた。

 

「就活ですか?」

 

「そやねん。もう俺だけ。でもやっともう終わる。」

 

「ですよね。皆さんもう決まったんですか?」

 

「そうやな。みんな大体。あと〇〇が最終くらいかな。」

 

「そうなんですね…。」

 

と、こんな感じの会話をしたのは覚えてるけど、最後どんな風に切り上げて別れたのかはあんまり覚えてない。

 

ただその時の自分は、あの飲み会の時くらいしかほぼ喋ったことない自分をよく覚えてて、かつよく話しかけてくれたなーという印象が大きかった。

 

あの時話しかけてくれた時も思ったけど、やっぱりええ人なんやろなぁと感じた。

 

向こうからしたら、特に何の意味も考えてないやろけど。

 

結局それから一度も会うことなく、連絡を取ることもなく、おそらくそのまま普通に卒業していって、自分も1年して卒業した。

 

特段深い関わりがあった訳でもなく、何か恩がある訳でもなく、ただ、何となくたまに思い出す。

 

今頃元気にされてるんやろうか。

#8

趣味っていうのは、つまらない時間、ストレスを感じる時間よりも、楽しい時間の方が長くないと意味がないなと思う。

 

社会人になって週5日、一日8時間以上働き始めるようになってからは、余計にそう思う。

 

限られた貴重な終業後、休日の時間を割いて趣味に充てるのだから、わざわざ楽しくない、ストレスの感じる時間を過ごすことは、それ自体が大きなストレスになる。

 

だから、時間に大きな余裕があった今までは、多少無駄である時間に対しても寛容でいられたと思うけど、もうそういう時間には耐えられなくなってくる。

 

何でわざわざ休みの日に、こんなことに時間を費やしてるんやろう?っていう気持ちがどうしても邪魔する。

 

そうしていくうちにどんどん趣味が減っていくのかなと思う。

 

今も贔屓のJリーグのサッカーの試合を観てたけど、ここ数試合面白くなさ過ぎて、もう観るのやめようかなと思ってる。

 

学生の時は、どんなにつまらない試合でも最後まで観ないと勿体無いと思ってた。

 

でも今は無理。

 

勝ったら気持ちいいけど、負けた時とか、そもそも勝つか負けるか分からん観てる時の時間自体が、最近耐えられへんようにようになってきてしまってる。

 

何に時間を費やすかの取捨選択は大事。

 

けど、人の深みとか魅力みたいなものって、無駄な時間からこそ生まれるものなんかなとも思うから、こうやってどんどん無個性な大人になっていくんかなという気がする。

 

 

#7

あいつは売れただとかあいつはいつまでも売れないからダメだとか。

 

そんな言い回しは普段生きてたら死ぬほど耳にする。

 

自分が好きな分野で言うと、やっぱりお笑いとか音楽の話で耳にすることが圧倒的に多い。

 

個人的には、売れてるだとか売れてないだとかの基準は割とどうでも良い。

 

好きな人達が売れてたら当然嬉しい。

 

そしてまた当然その本人達は基本的には皆一様に売れたいと思ってやってると思う。

 

でもただ応援するだけの側の人間としては、売れてるとか売れてないとかを気にするのはあんまり意味のないことのような気がする。

 

売れてるからといって好きになるわけじゃないし、売れてないからといって嫌いになるわけでも全くないはず。

 

なのになんでファンは、売れてる売れてないの話題でああも熱くなるのだろうか?

 

自分はあの熱さにほとんど共感できないでいる。

 

本当に自分は「ファン」がよく分からない。

 

ただ好きで応援してるだけなのに。

 

好きじゃなくなったり、最近なんか違うなと思ったら離れるだけなのに。

 

なんで演者はファンに感謝するんだろう。

 

演者はみんな絶対ファンに対して感謝の言葉を並べるけど、自分はそういう言葉を聞くたびに、別に感謝なんかしなくて良いのにといつも思う。

 

だってファンは何もしてない。

 

ただ面白いと思うものに何も考えず食いついてるだけで、何も生み出してない。

 

売れてる売れてないで熱く偉そうに議論してるファン同士を見ると、変なのと思う。

 

そんなことに熱くなってる時点で、本質を見失っていると思う。

 

ファンには何の力もない。

 

そう思わない人がいたとすれば、それはただの思い上がりだと思う。