#20
通っていた大学の近くにあった松屋が潰れたらしい。
松屋は個人的に少し特別な感情を抱いている飲食店の一つだ。
通っていた高校の最寄駅のすぐ近くにも、松屋があった。
月曜日から金曜日に加えて、土曜日にも毎週半日だけ授業のあるゆとり世代らしからぬ高校だったのだが、土曜日の帰りには友達と松屋で昼飯を食べて帰るのがお決まりのコースだった。
高校生になるまで牛丼チェーンで飯を食べたことがなかったし、初めて行くことになった時は、そこまで牛丼好きじゃないしな〜なんて思いながら店に入ったのを覚えているが、一度食べてからというものの、そこから現在に至るまでの10年以上もの間、今もなお僕は松屋に魅せられ続けている。
大学に入学したてで右も左も分からない頃、そんな愛する松屋が大学のすぐ近くにあるのを見つけた時には、大きな安心感を得ることができた。
どこにどんな飯屋があるか分からず、行ったことのない店に自分一人で入る勇気もなく、さらには友達も少なかった自分は、必然的に松屋に通う回数が増えたものだった。
キラキラした男女や真面目に頑張っている学生を尻目に、何のやりたいこともなく努力もせず、かといって大して遊んでいたわけでもなく、しばしば大学という場所に居心地の悪さを感じていた自分でも、松屋に行ってネギ塩豚カルビ丼や旨辛ネギ玉牛飯、ビビン丼などを食べている間は、大学という場所にいる間の自分の中の罪悪感のようなものを忘れることができた。
松屋はどんなにダメな自分でもいつでも受け入れてくれる場所だった、と言うと綺麗に表し過ぎかもしれないが、割と本当にそんな風に感じていた場所だった。
そんな大学の近くの松屋が潰れたらしい。
別にめちゃくちゃ悲しいわけではないし、冷静に考えたら卒業以来一度も行ってないし、潰れたからどうということはないのだが、何となく、時間が経つってこういうことなんだなぁと思わされる。
今、自分は地元からも大学からも離れ、全く別の場所で一人暮らしをしているが、やはり今の場所にも松屋はあるというのだから頼もしい。
とりあえず明日の晩飯は松屋にしようと思う。
#19
僕は高校生活がとても嫌いだった。
元々、第一志望の公立高校に落ちてしまい、滑り止めで通うことになった隣県の私立高校だということもあり、入学の段階でマイナスな気持ちからのスタートだった。
制服は学ランが良かったのに、生徒の誰一人としてサイズの合っていないクソデカダサブレザーを着せられるのがたまらなく嫌だった。
高校生らしい少し遊ばせた髪型にしたかったのに、頭髪検査とかいう前時代文化にもほどがある馬鹿みたいな校則のせいで、一切の喜びもないほぼスポーツ刈りのような髪型にしなければならなかったことも、たまらなく嫌だった。
三年間同じだった担任の男教師は数年前に死んだらしいが、社会人になってから出会ったどんな上司よりも群を抜いてパワハラ気質で、毎日そいつの授業の前は緊張でバレないように震えてた。
高校生活で出会った友人は、数少ない今でも連絡の取り合える仲間なので、その点では恵まれたのだが、高校生活トータルで考えるとどう考えてもマイナスだった。
どでかいマンモス校だったので、自分のクラスの教室は8階だか9階にあったのだが、窓からは近くを走る高速道路の様子がよく見えたのを覚えている。
全く自分を好きになれない状態のまま、これから始まる嫌で仕方のない担任の授業の開始を待っている時、高速道路を見ながら現実逃避のような想像をよくしていた。
今、なりたい自分への自己実現を叶えることもできず、絶望感の漂う教室に無力に閉じ込められたまま動くことのできない自分と、高速道路を走って、どこか遠くの場所へと自由に旅をしていく車。
ああ、自分もあの車に乗って、今すぐこの教室を飛び出し、どこか遠くの場所へ行きたい。
自分と車の対比にまた絶望感を深めながら、ぼーっと窓の外を眺めてたあの瞬間のことを思うと、今の自分は、まだよくここまで頑張った方だな、と思う。
#18
小学生の頃、歳の少し離れた兄貴がいる僕は、何となくまだ他の同級生がそこまで興味のないもの、知らないであろうものに触れることにカッコよさを見出していて、その時もそんな気持ちから、当時公開されたばかりのデスノートの実写版映画を観に一人で映画館へ行った。
映画の終わりに、主題歌であるレッドホットチリペッパーズのダニーカリフォルニアという曲を聴き、僕は初めて洋楽に触れた。
その時直感的に、日本で流行ってる皆が知ってる音楽を聴くより、こっちを聴く方がきっとカッコいいんだろうな、と思った。
それ以来レッチリにどっぷりハマったとか、邦楽は一切聴かず洋楽漬けになったとか、そういうことは全くない。
レッチリは何曲か聴いたけど正直よく分からなかったから、結局ダニーカリフォルニア以外にはもう一曲デスノートの主題歌になったスノウしか知らないし、邦楽にも好きな曲は沢山あったので、全然普通に聴き続けていた。
ただ何となく、きっと洋楽を好きな方がカッコいいんだろう、と思い続けていた。
それから何年かが経過し、僕は中学三年生の夏を迎えていた。
同じクラスの友達が、サム41とスリップノットというアメリカのバンドを教えてくれた。
エルレガーデンやラッドウィンプスといった日本のバンドは、そこそこ好きだった。
ただ、サム41とスリップノットを聴いた時、絶対にこっちだと思った。
これを聴き続けようと思った。
教えてくれた友達とは、それからよく音楽の話をするようになった。
そいつはいつもセンスが良くて、カッコいい音楽を教えてくれて、僕も自分なりに、これならあいつもカッコいいと思ってくれるだろうと感じた音楽を、おススメし返したりするなどしていた。
それは僕にとって楽しい時間だったが、月日が経ったり、年齢を重ねたりしていくにつれ、次第にそのような時間も少なくなり、僕はいつしかそいつに教えてもらうまでもなく、自分で自分の好きな音楽に、一人で耽っていくようになっていった。
今や好きな音楽は数えきれないほどになったけど、今でも初めてはあの時のダニーカリフォルニアであり、トリガーはあの時あいつに教えてもらったサム41とスリップノットであると思っている。
あいつはもう、バンドはあまり聴いていないようで、もっぱらヒップホップやラップなどを好んで聴いているらしい。
自分で演奏もしないくせに、何故この音がこんなに好きなのか自分でもよく分からないくせに、ギターとドラムとベースの音ばかり今でも新しく聴き続けているのは、今や周りで僕だけになった。
誰とも盛り上がったことがないし、誰にもほとんど話したこともない。
でも、たくさん支えられてきた。
この音楽が好きな人間になれて良かったな、と僕は思っている。
#17
高校から大学にかけて、どシンプルな白のエアフォース1を4年くらい毎日履き続けた。
どんな服装にも合うし、自分の足や体型にも合って、気に入っていた。
それと、ベタではあるけど、長く履くにつれてちょっとずつ汚れていくのが、勿体ないけど少し嬉しかった。
最近履き始めたわけじゃない、ずっと長く履いてるという期間をその汚れが物語ってるような、そんなこと周りは何も気にしてないし、自分しか意識してないこととは分かってるけど、何となくそれだけで心強かったのかもしれない。
何か特別なエピソードがあるわけではない。
履きに履き潰して最後は靴底まで剥がれて、普通に捨てた。
けど、あのエアフォース1を履いていた時期というものは、今も自分の中に確かにある。
色んな日に色んな場所へ色んな気持ちで、あのエアフォース1を履いて向かい、歩き、過ごした記憶。
今もうエアフォース1を履きたいと思うことはないし、絶対に新しい一足を買うことはないけど、あの頃はお世話になりましたと、そんな気持ちをあの靴には抱いてる。
世代を超えて普遍的に愛されている靴なので、今でも若い学生が履いているのを見かけることがよくある。
そのたびに、自分は心の中で
「まだそんくらいしか汚れてないんか、遅れてんなあ」
と謎の悦に浸ったり
「これから色んなことあるやろけど、何とか頑張ろうなあ」
とキモい心のエールを送ったりなど、たまにしている。
#16
職場で仲の良かった先輩が仕事を休み出して、1ヶ月以上が経過した。
体調を崩し、初めは少しだけ、という話だったが、予定の日を過ぎても出勤されず、そのまま現在に至る。
その人がいなくなるとどうなるんだろう、と思えるほどに、存在感のある人だった。
休んで姿を見せなくなる人は少なからずこれまでもいた職場だが、その人がそうなるとはまさか誰も考えていなかったと思う。
何がどうなるか分からないなと思う。
大なり小なり世の中はそんなことの連続なのだろう。
そして、どうなっても、世の中は何もなかったような顔をして回っていく。
その裏側では、数多くの予想だにしないことが起こっているのにも関わらず。
自分にとってはそんなことでも、世の中の多くにとっては何でもないようなこととして、そのまま過ぎ去っていく。
世界は本当に大きい。
知らない間に、自分もとっくにどこかへ置いていかれているんだろう。
#15
どこか遠くへ行ってしまいたい夜がある。
何かしたい、どうにかなりたい、何とかなってほしい。
でも何もできない、どうにもならない、どうしようもないような夜。
考えすぎてとっくに効果的な時間は過ぎてる。
考えることはもはや意味を成していない。
考えない方が良いとこれ以上ないほどに頭では理解してる。
でも考えること以外できない。
考えて考えて最終的に、どこか遠くへ行ってしまいたいと思う。
死にたいという意味ではない。
本当に、誰も知らない、何もない、ひたすら遠くのどこかで、一人で景色を、空を、時間を見つめていたい。
そんな気分になる夜がある。
#14
昔、多分高校生くらいの頃、一人で祖母の家に行くことがあった。
夏休みだったと思う。
新幹線を利用して行く必要がある、自分の家からは遠く離れた田舎に祖母は住んでいた。
好きな人と出掛けるわけでも、都会へ買い物しに行くわけでもないので、ほぼ部屋着みたいな格好とサンダルで新幹線に乗り込んだ。
祖母の家へ遊びに行く、用件はただそれだけ。
とはいえ、一人でそんなに遠出をするのは、当時高校生だった自分にとって、生まれて初めての経験だった。
新幹線が徐々に田舎の方へ降っていき、窓の景色が変わっていくにつれ、すごく遠い場所へ来ている感覚になり、少し変な気分だった。
新幹線を降りてからは、通常の電車に乗り換え、聞いたこともない名前の駅ばかりが連なる在来線を乗り継いでいった。
新幹線の中は、周りもまだ自分と同じ。
でも在来線になると、一気にアウェイ感が増す。
ただでさえ田舎な地域。
乗客は、ほとんど全員その辺りに住んでる地元の人に違いない。
自分だけが、大きな荷物を持って慣れない表情をしている、余所者になった気分だった。
ちゃんと着けるんかな。
そんな思いが少し頭をよぎった。
電車の中で座りながら、ふと足元を見ると、いつも履いてるサンダルが目に入った。
いっつもコンビニ行く時に履いてるサンダルやのになぁ。
こんな遠くの全然知らん場所に一人でおんのに、履いてるのはいつものサンダルやねんなぁ。
このサンダルだけでこんな遠くまで来ることあんねんなぁ。
そんなことを頭の中で考えながら過ごしていると、いつの間にか不安な気持ちはなくなっていた。
こんな適当なサンダルでも、自分はどこにでも行ける。
何となく自信になった、そんな思い出の話。